源を尋ねる

短大時代、国語の第二種中学校教員免許を取るため母校に教育実習に行きました。

別に免許をとったところで学校の先生になるつもりも、なれるはずもありませんでしたが、取れる資格があるならとっておこうと思ったからです。

それに先生になれる体験ができるなんてそうそうないと思ったからです。

しかし、実習に行ってみて思ったのは本当に学校の先生というのは大変だということでした。

当時はまだ私が中学生だった時の先生も何人かいらっしゃいましたが、生徒だった時友だちとあだ名を付け若気の至りで少々小馬鹿にしていた先生方に対しても印象はがらりと変わり、その立場に立ってはじめて「凄い!さすがはプロ」という尊敬のまなざしで授業を見させてもらったものでした。

人前でしゃべること自体苦手だった私にとってはまずそこからハードルが高く、2回授業を任されることになった時はどうしたものかと悩み、家に帰る道中泣きながら帰った記憶が今でも残っています。

実習だけでなく卒業論文も就職活動も同時にこなさなければならなかった短大2年生の夏は本当につらかったのでした。

 

2回の授業のうち1回は自分の好きなテーマでしてもよいと言われますます考え込みましたが、大好きな民俗学の紹介をさせてもらいました。

それは縄文時代の土偶がなんのために作られできたのか。その起源を当時のいろんな神話から紐解いて探っていくというものでした。

私はそこで子ども達に何を伝えたかったかというと、普段当たり前に目にしているものには必ず意味があって起源があるということを伝えたかったのでした。

歴史の授業で習って写真をみれば土偶だと知ってはいるけれど、それの意味する起源までは教えてくれません。

鉛筆や筆箱ひとつ、お祭りなどこの世に存在する物や行事には必ず人がしあわせになるためにと考えられた起源があるということを知ってもらいたい一心で特別授業させてもらいましたが、あがっている上少々熱も入り過ぎて一方的にしゃべり過ぎた感じになってしまい、子ども達がどこまで理解してくれたかどうかまではとても確認できずに終ってしまいました(笑)

今でも思い出すと恥ずかしさがこみ上げてきますが、そのことで自分が何を伝え残したいのかがはっきりとわかり今に至っているのだと改めて感じました。

「源を訪ねる」ことの大切さ。親祖先、先達の方々の祈り願いによって今の日本文化ができたのだと感謝して、私も次世代により善き希望を残せるはたらきをと思います。