差別といじめが無くなる為に

私はある韓国のグループのファンなのですが、今年そのグループがアジア人として初めてグラミー賞にノミネートされたことで注目を浴びました。惜しくも受賞には届きませんでしたが、その時アメリカのある会社がグラミー賞に対しての風刺画的なカードを作ったことが話題となりました。

そのカードにかかれている他のノミネート者の風刺画に比べて明らかにその韓国グループのカードだけが、見ているこちらまで痛々しく感じるくらいにメンバー全員がグラミー賞のトロフィーでモグラ叩きされて傷だらけになっている風刺画だったのでした。

それを見たそのグループの世界中のファン達が一斉にそのカードを作った会社を「ヘイトクライム(憎悪犯罪)」と非難した事で世界のメディアもそれを取り上げ、そのカードは発売中止となりました。

そのカードが実際「ヘイトクライム」の思想のもとで作られたかどうかは定かにはなっていませんが、私がもしそのグループを好きになっていなかったら多分「ヘイトクライム」という言葉を知ることもなかったと思いますし、それに関するニュースにもあまり興味を持たなかったと思います。

日本に住んでるかぎり差別を受けることもありません。ある意味「対岸の火事」と思って平和ボケして過ごしていたと思います。

また、その韓国グループを好きになる以前の私も韓国に対して差別とまではいきませんが、あまり良くないイメージを持っていたのも事実です。

 

しかし、そのグループを好きになったことで韓国の言葉や習慣、これまでの日本との歴史にまでさかのぼって興味を持つようになり親近感を持つようになりました。

更に、メンバーのファッションの影響で、髪を染めたり、ピアスを開けたり、タトゥーを入れたり、ダメージジーンズをはいたりすることにもある意味寛容になってきた自分にも驚いております。

それ以前は、高校時代漢文の授業で「身体髪膚、之を父母に受く。敢て毀傷せざるは、孝の始めなり。」と習って感銘を受けて以来「親からもらった大事な体にあえて傷をつけない」ことが自分のなかの親孝行の1つであり美徳として心がけていますが、人がそういうファッションをしているのを目にするたび「どうしてあんなことをするんだろう」と心の中で非難していました。

しかし、ファンになってからはメンバーがどんな奇抜なファッションをしても「かっこいい」と思えるようになり、タイミングよく息子も髪を染めたり、ピアスを開けたりしだした時でしたのであまり抵抗なく「かっこいい!似合うよ」と言ってやることができました。

自分の考えは考えとして置いておき、それを強要したりそれ以外を非難したりすることは、結局差別にも通じていくと気づかせてもらいました。

そして、いろんな人に関心をもつことで相手を認め、個性を尊重することにもつながっていくのだと改めて感じております。

国や宗教を超え一人の人間同士わかり合え好きになれたらきっと争いも差別もなくなっていくと思いますと、1人でも多くの人に関心を持ち好きになれる自分でありたいと思います。